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奈良県の1000件を超える国宝・重要文化財が学べるデジタルブックを作りたい!

『楽しく学べる ならの文化財』1
「天平文化をはぐくんだ二人」-聖武天皇と光明皇后の願い-

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新しいデジタルブックの作成を目指し、改訂前の『奈良の遺跡&史跡案内』の中から、文化財にかかわる秘められた歴史やエピソードを紹介したり、改訂に向けた新しい内容を紹介する企画『楽しく学べる ならの文化財』を始めます。
第1回は、改訂前の『奈良の遺跡&史跡案内』の中から、東大寺大仏の建立にまつわる聖武天皇と光明皇后、二人のエピソードを引用します。
(活動報告の字数制限上、文面はオリジナルを一部変更してあります。)

どうして大仏は造られたのか?そこに秘められた願いとは?

 その大きさに息をのむ奈良の大仏。正式には「東大寺盧舎那仏」とよぶ。機械がなかった1200年以上も昔に、高さ14m以上もの大仏を造ったのはおどろきだ。聖武天皇によって「大仏建立の詔」が出されたのは743年のこと。どうして聖武天皇は、大仏を造ろうと考えたのだろう。
 8世紀半ばの聖武天皇の時代は、天平文化の最盛期で、国力の充実した時代だった。しかし「天平」とは書くものの、決して平和なことばかりではなかった。なぜなら、政権をめぐる皇族や貴族の争いがはげしくなり、多くの政変や内乱が起こっていたからだ。
 そんな中、仏教に深い知識と信仰を持っていた聖武天皇は、仏教の力によって政治と社会の混乱を収めようと考える。国分寺の造営など、国家的規模の仏教事業をすすめる中、大仏建立はそのシンボルともいえる存在だった。ちなみに盧舎那仏とは、すべての人に明かりを照らし、さとりを導く仏のこと。「この大仏が国中を照らし、平和な世の中をもたらしてくれたら…」。そんな聖武天皇の切実な願いが、奈良の大仏にはこめられている。
 聖武天皇の妻である光明皇后も夫と同じく、仏教にあつい信仰をもっていた。新薬師寺をはじめ寺院を建てることに熱心で、東大寺や国分寺の建立を聖武天皇にすすめたともいわれる。また、貧しい人や身寄りのない人のための「悲田院」や、病人を治療するための「施薬院」を設立し、飢えや病気で困っている人々を助けるなど、とても慈悲深い性格だったという。光明皇后は、仏教事業に取り組む聖武天皇にとって、よき理解者だったにちがいない。
 聖武天皇と光明皇后。この二人のあつい信仰心は、平城京で仏教を発展させる原動力となり、天平文化を育んだともいえるだろう。
 聖武天皇のお墓(佐保山南陵)は奈良市法蓮町にある。その東側には、光明皇后のお墓が寄りそうようにしてあり、二つのお墓は一本の道でつながっている。

『奈良の遺跡&史跡案内』10ページ

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