JapanGiving > NPO活動を支援する > 奈良県の1000件を超える国宝・重要文化...

奈良県の1000件を超える国宝・重要文化財が学べるデジタルブックを作りたい!

『楽しく学べる ならの文化財』4
「法隆寺に伝わる、人々が聖徳太子を慕う思い」-捨てることを知らない寺-

  • お気に入りに登録
    マイページに追加され、
    NPOからメッセージが届きます。
  • 下方のHTMLコードをコピーして、あなたのWebサイトやブログに用途に あわせて様々な形のプロジェクト概要を表示して応援しよう!

新しいデジタルブックの作成を目指し、改訂前の『奈良の遺跡&史跡案内』の中から、文化財にかかわる秘められた歴史やエピソードを紹介したり、改訂に向けた新しい内容を紹介する新企画『楽しく学べる ならの文化財』です。
第4回は、改訂に向けた新しい内容として、法隆寺に伝わる事物から、人々の聖徳太子への思いについて紹介します。

修理を続けた法隆寺が世界遺産となったのはなぜなのか

 聖徳太子が建立した斑鳩寺(法隆寺)は、仏教を学ぶ寺として重要な役割があったが、現在の法隆寺が再建された当時、聖徳太子はすでに亡くなっていた。では、誰が法隆寺を建立したのか。それは、聖徳太子を偲ぶ人々の手によるという。そのため、費用は潤沢ではなく、時々工事が中断されるほど困窮していた。しかし、奈良時代には聖徳太子ゆかりの寺院であることが認められ、大安寺や東大寺とともに南都七大寺に数えられることになる(法隆寺に代わり唐招提寺を含む説もある)。その後、聖徳太子の遺徳が広く信仰の対象となるにつれ、聖徳太子信仰が広まり、法隆寺は多くの人々の手によって支えられていく。
 法隆寺は、「捨てることを知らない寺」である。修理の際に取り替えた部材や、法会の道具など、様々なものが捨てずに遺されている。飛鳥時代の世界最古の木造建造物をはじめ、現役で寺を構成しているものも含めると、創建以来の膨大な資料が寺に伝えられているのである。なぜ、捨てなかったのか。それは、聖徳太子信仰によるものだという。寺の所有物の全てが聖徳太子のための物と考えられ、たとえ使いみちがなくなったとしても、聖徳太子の所有物として大切に残しておいたのである。その結果、現在まで貴重な資料が遺されることになった。
 法隆寺が世界遺産に登録される前のICOMOS(イコモス)の調査の際、寺に伝わる木材等を調査員に見せた。これが世界遺産登録の際にプラスに評価されたことは疑いようがない。遺されていることで、部品を取り換えた修理も過去の部材を参考にしたことが分かり、その歴史的価値が改めて確認されたのである。文化財を未来に伝えるためには、技術はもちろんだが、重要な資料として様々な物を遺しておくことが必要だと分かる。世界遺産法隆寺は、聖徳太子を慕う人々の思いによって現代に伝えられた、貴重な文化財なのである。

『奈良の遺跡&史跡案内』42ページ

聖徳太子ゆかりの地をめぐる 43ページ