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新プロジェクト始動!「知られざる鎌倉」発掘プロジェクト第一弾!「鎌倉これあらた(維新)」!

案内板設置場所のご紹介第3弾!

2017 年 02 月 17 日 17:27

鎌倉市観光商工課
鎌倉市観光商工課
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寄附募集の終了も近づき、案内板設置場所のご紹介も折り返し地点です。
折り返し地点となる第3弾は、鎌倉の歴史上の偉人といえば、誰もが思い出すあの人に縁のある地を紹介します。

薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が並ぶ法華堂跡

「法華堂」とは、中世に身分の高い人の遺骨を納めたお堂のことで、言わずと知れた源頼朝や、幕府の第2代執権を
務めた北条義時の墓も、この法華堂でした。
頼朝は、鎌倉幕府を開いてからしばらく経った建久9年(1198年)に相模川にかけられた橋の供養に出かけましたが、
その帰りに落馬をしてしまい、この落馬が原因とも、病気ともいわれていますが、翌年の正治元年(1199年)の
正月に53歳で亡くなり、生前に自分が立てた「持仏堂」に葬られました。
その後、この「持仏堂」が「法華堂」と呼ばれるようになったとのことです。
法華堂は大きな寺院とでしたが、江戸時代には、現在の白旗神社の場所に移され、
法華堂の跡地に頼朝の墓が立てられたものと考えられています。
その後、移された法華堂も神仏分離の政策によって明治2年(1869年)に無くなり、頼朝を祀る白旗神社が明治5年(1872年)に
建てられています。

その白旗神社から東へ、山すその道を70mほど進み、石燈篭のあるところの石段を上ると、
北条義時の法華堂の跡地に出ます。
この奥に、今回設置する案内板の主役である、薩摩藩・長州藩ゆかりの墓が立てられています。
何故、幕末・維新の立役者である薩摩藩・長州藩にゆかりのある墓が、遠く離れた鎌倉にあるのか。
どのような縁で、薩摩・長州と鎌倉が結ばれているのか。
今回設置する案内板で、紹介していきます。ご期待ください。
法華堂跡にある頼朝の墓

法華堂跡にある頼朝の墓