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新プロジェクト始動!「知られざる鎌倉」発掘プロジェクト第一弾!「鎌倉これあらた(維新)」!

案内板設置場所のご紹介、遂に最終回!

2017 年 02 月 24 日 13:46

鎌倉市観光商工課
鎌倉市観光商工課
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寄附募集期限を目前に控え、3週間前から始めた案内板設置場所のご紹介も遂に今回で最終回です。
稚拙な文章でお見苦しい点も多々あったかと思いますが、ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。
最終回は、明治時代の始まりを象徴する神社、鎌倉宮です。

幕末関連の書が保管される宝物殿

鎌倉宮は、明治2年(1869年)、明治天皇からの勅命により創建された、大塔宮(おおとうのみや)護良親王(もりながしんのう)
を祀る神社です。

護良親王は、後醍醐天皇の第三皇子で、鎌倉幕府を倒すことに努め、倒幕後の建武の新政の中で征夷大将軍となりましたが、
征夷大将軍の名を欲した足利尊氏によって捕らえられ、鎌倉に流されてしまいます。
鎌倉へ流された護良親王は、鎌倉にいた尊氏の弟直義によって、当時鎌倉宮のあたりにあった東光寺の境内の土牢に押し込め
られました。
その後、新田義貞らによって滅ぼされた北条高時の子、時行が建武2年(1335年)に数万の兵を率いて鎌倉を取り戻しに攻め入ると、
直義はこれに敗れ、逃げ延びる途中で家来の淵辺義博に親王の暗殺を命じ、これにより、護良親王は28年の生涯を終えることに
なります。

現在、護良親王が捕らえられていたとされる土牢があった岩窟は、社殿の後ろの山の中腹にあり、
更に進むと、クスノキの大木がそびえる神苑に、前段の淵辺義博が親王の首を捨てたという御構廟(ごこうびょう)や、
護良親王の皇子日叡が、師日賢のためにつくったという多宝塔や献茶の塔、さらに明治天皇ゆかりの「五ヶ条の御誓文」や
「教育勅語」の碑もあります。

明治天皇は、明治6年4月16日に初めて鎌倉宮に行幸遊ばされ、その時お休みされた「行在所」が現在の宝物殿となっています。
宝物殿には保管されている幕末関連の書とは、どのようなものなのでしょうか。
設置される案内板をご覧になり、お確かめください!